聖書の不思議な話:主の栄光
旧約聖書 出エジプト記 33章
33:18-19
モーセが、「どうか、あなたの栄光をお示しください」と言うと、
主は言われた。「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」
「あなたの栄光をお示しください」とはどういう意味だろうか。
オレには分かりにくく感じられる言い方だが、たぶんこれが正確な訳なのだろう。
目に見えるもの(主の御姿)と抽象的なもの両方を示しているようにも思われる。
分かりやすく意訳しているというTEV(GNB)の英語訳は
"let me see the dazzling light of your presence."
で、
その日本語訳は機械翻訳によると
「あなたのまばゆい光を拝見させてください。」
となる。
「わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」
という言い方も、やはりオレには分かりにくい。
「え、どこが?」と思う人もいるかもしれないが、
違う意味に解釈される余地があるような気がするのだ。
この部分のTEV(GNB)の英語訳は
"I show compassion and pity on those I choose."
で、
機械翻訳にかけると日本語訳は
「わたしは、わたしが選ぶ者たちに慈しみと憐れみを示す。」
となった。
しかし本当に問題なのはこれに続く部分で、
それこそがオレが興味を感じる部分なのだ。
33:20-23
また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」
更に、主は言われた。「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。あなたはその岩のそばに立ちなさい。
わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。
わたしが手を離すとき、あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見えない。」
主とは、なんと謎めいたお方なのであろうか。
今回もお読み下さり、ありがとうございます。
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