Kのhimaブログ

暇人が気まぐれに語ります。

Kの日記:スクリーンに御用心

暇な方、物好きな方だけお読みください。


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この世に暮らす「家畜」たちの心に危険な変化が兆した場合、
この世の支配・管理者たちが講じるそれへの対策は、
何よりもまずテレビによって行われる。
予防薬を投じるかのように。


最近はそれにインターネットが加わった。
どちらの手段においてもそれは画面を通して行われるが、
もしかしたら何を見せるか聞かせるかにはそれほど大きな意味はなく、
支配・管理者に繋がる画面からの放射自体が薬、
つまり我々の精神にとっては毒なのかもしれない。



しかし世の中には、オレのようにテレビもほとんど見なければ、
ネットにも毎日は繋がらないという人間もいる(いた)のだ。


そしてそのような人間の存在は、これまでは見過ごされてきたのだが、
なぜか奴らには、もうそんな余裕はなくなり、
これまではそうしなかった人間にも画面の前で毎日長時間過ごさせようと考えた。


それが今回の偽パンデミックの目的(の一つ)だったように思われる。
実際、その「発生」以来オレも、毎日のように
ネットに繋がったコンピュータの画面に何時間も張り付くようになった。


しかしこれは、少々理屈に合わない話だ。
オレのような人間がネットに入り浸るのは、奴らのウソを暴くためなのだから。
真実暴きという奴らにとっての「毒」を上回るほどの効果が、
画面からの放射にはあるのだろうか?



それでは、オレのような人間を画面の前におびき寄せるのに
偽パンデミックが使われた理由は?


奴らが「家畜」たちに与えようとしたパンデミックの恐怖とは
奴らが抱く「家畜の目覚め」への怯えの投影だろうと思う。
そしてワクチンとはその目覚めへの予防策、
「家畜」たちを眠り続けさせる「催眠術」、「洗脳」の比喩だろう。


しかしワクチンは比喩であるだけでなく、
実際に接種されている。


だとすれば、実際に接種されているワクチンも
人間の精神を標的にしていると考えられるのではないだろうか?


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この日のKの日記はここで終わっています。



気がつけば、今年ももうすぐ終わりですね。


今年もこのブログを読んでくださった皆さん、
nice!してくださった皆さん、
本当にありがとうございました。


是非、よい年末年始をお過ごし下さい。


それでは、またお会いしましょう。